【本件、保証外です!】#1-2 DX最大の壁は“ツール”ではない ― データ定義という地獄

はじめに:センサーを買ってもDXは始まらない

前回は、製造業におけるDXの本質が「管理面のデジタル化」にあり、その目的は「意思決定の高速化」であることをお話ししました。 「なるほど、工場の神経系を作ればいいのか」 そう理解した経営者の方が、次にとる行動は決まっています。

「IoTに詳しいベンダーを呼ぼう」 「最新のセンサーや可視化ツールを導入しよう」

しかし、残念ながらここで多くのDXプロジェクトが壁にぶつかり、最悪の場合は頓挫します。高価なツールを入れたのに、現場から上がってくるデータは使い物にならず、結局誰も画面を見なくなる…そんな「デジタル廃墟」が生まれてしまうのです。

なぜ失敗するのでしょうか。それは、ツールを入れる前の段階、すなわち「何をデータとするか」という定義づけ(概念設計)が抜け落ちているからです。今回は、地味ですが避けては通れない、そして日本企業が最も苦手とする「データ定義」という落とし穴についてお話しします。

1. 「加工時間」を定義できますか?

具体例で考えましょう。あなたは工場の生産性を上げるために、ある製品の「加工時間」を正確にデータ化したいと考えました。 さて、ここで質問です。「加工時間」とは、具体的に「いつから、いつまで」の時間でしょうか?現場を知らないITベンダーであれば、「スタートボタンを押してから、完了ランプがつくまで」と簡単に考えるかもしれません。しかし、現場の実態はそう単純ではありません。以下のような「解釈の揺れ」が無数に存在するのです。

  • 解釈A: 段取り替え(治具の交換など)を始めた瞬間から、次の加工が終わるまで。
  • 解釈B: ワーク(材料)を機械にセットし、ドアを閉めた瞬間から。
  • 解釈C: 実際に刃物が回転し、ワークに接触している時間(切削時間)のみ。
  • 解釈D: 加工が終わり、製品を機械から取り出し終えた時点まで。


もし、ベテランのAさんは「段取り込み(解釈A)」で記録し、若手のBさんは「切削時間のみ(解釈C)」で記録していたらどうなるでしょうか。 上がってきたデータを見て、「B君はAさんの倍のスピードで仕事をしている! すごい!」と評価するのは大間違いです。そもそも測っているモノサシが違うのですから、比較検討などできるはずがありません。

これが「データ定義」の問題です。 「センサーを設置する」ということは、単に物理的な配線工事を行うことではありません。「わが社における加工時間とは、○○から××までを指す」という概念を設計し、統一することなのです。

2. 現場ごとの「正しさ」が衝突する

「そんなの、最初にルールを決めればいいだけじゃないか」と思われるかもしれません。しかし、ここで立ちはだかるのが、日本の組織特有の「文化」です。

日本の製造業の現場は、非常に優秀です。それぞれの工程、それぞれの担当者が、長年の経験に基づいて「どうすれば最も効率が良いか」を考え、改善を積み重ねてきました。 その結果、現場ごとに「自分たちのやり方(ローカルルール)」が確立されています。

「俺の工程はこの測り方が一番実態に合っているんだ」 「隣の部署とは機械の種類が違うから、同じ定義にはできない」

こうした現場ごとの「正しさ」は、それぞれ尊重されるべきものです。しかし、会社全体でデータを統合し、DXを進めようとした瞬間、この「部分最適」が大きな障壁となります。 「全社統一の基準を作ろう」と提案しても、「現場の実態を分かっていない」「その定義では管理できない」といった反発が起き、調整会議は紛糾します。
日本の組織は「和」や「コンセンサス(合意形成)」を重視します。トップダウンで「つべこべ言わずにこの定義に従え!」と命令することを良しとしない風土があります。その結果、いつまで経っても定義が決まらず、DXが一向に進まないという事態に陥るのです。

3. 「統一基準」なきデータ収集は無意味である

厳しい言い方になりますが、どれほど高精度のセンサーを使おうとも、どれほど高機能なAIで分析しようとも、入力されるデータの定義がバラバラであれば、出てくる結果は「ゴミ」です。DXを成功させるために必要なのは、ITスキルではありません。 「多少の不満はあっても、会社としてこの指標で統一する」と断行する経営判断と、それを現場に納得させ、定着させる泥臭いコミュニケーション能力です。

完璧な定義など存在しません。どの定義を採用しても、必ずどこかの工程で「実態と少しズレる」ことは起こり得ます。それでもなお、「比較可能であること」「継続性があること」を優先し、共通言語を作る。これこそが、経営者やプロジェクトリーダーが果たすべき最大の役割です。

4. 視点:センサー=概念設計

これからDXに取り組もうとする皆様に、ぜひ持っていただきたい視点があります。 それは、「センサー設置=概念設計」という視点です。

「温度センサーをつけよう」と思ったとき、「何度になったらアラートを出すのか」「どの位置の温度を測るのが、製品品質を代表する値と言えるのか」を考えることになります。これは物理的な作業ではなく、自社の品質管理基準そのものを問い直す知的作業です。
データ定義のプロセスは苦しいものです。現場からは「面倒だ」「前のやり方のほうがよかった」と文句が出るでしょう。 しかし、このプロセスを通じて、「自分たちは何を大切にしてモノづくりをしているのか」「どの数値を追えば利益が出るのか」を議論すること自体が、組織を強くします。ツールはあくまで道具です。その道具に何を語らせるか、その「言葉の意味」を決めるのは、人間である皆様自身なのです。

さて、苦労の末にデータ定義を統一し、管理面のDXが進んだとしましょう。業務は効率化され、ムダが減りました。 では、そこで浮いた時間やコストを、どう使いますか? 実はここにも、日本の製造業が陥りやすい「効率化の罠」が潜んでいます。最終回となる次回は、DXの先にある「真のゴール」と、経営者が取り戻すべき「時間」についてお話しします。

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