
はじめに:品質管理における永遠のジレンマ
「品質を安定させるためには何が必要か?」 そう問われたとき、要因として何を考えますか?標準化でしょうか、それともマニュアルでしょうか。内部監査が重要だと思う会社もあるかもしれません。それらも確かに重要ですが、その基礎に位置づけられるものが作業者の「慣れ」です。前後の工程とのつながりも理解しきれていない新人がおぼつかない手つきで行う作業と、ベテランが流れるようにこなす作業とでは、その精度もスピードも雲泥の差があります。
しかし一方で、重大な事故や信じられないような初歩的なミスが起きたとき、その原因として挙げられるのもまた「慣れ」です。「慣れからくる油断」「慣れによる確認不足」。標準化した業務、手順書に明記したやり方、それらが形骸化した時、作業者はそれらを無視しだします。
「いつもどおり」
「どうせ何も起こらない」
その結果の記者会見のニュース、第三者委員会の報告書、我々はいくつ見てきたでしょうか。
今回から始まるシリーズ(全4回)では、この「慣れ」という要素が持つ二面性と、それを組織としてどうマネジメントしていくかについて掘り下げていきたいと思います。第1回となる今回は、この問題の核心である「現象の整理」から始めましょう。
1. 「慣れ」が品質を作る側面:職人技と安定
「慣れ」が持つポジティブな側面から見ていきます。 結論から言えば、作業品質が最も高い状態とは、「慣れている人が、慣れている作業をやっている状態」です。
例えば、伝統工芸の職人さん。彼らは長年の修練によって、道具の扱い、素材の状態の見極め、力加減など、作業品質に影響する無数の変数を、長年の継続による習慣と感覚、無意識レベルまで高められた判断力とで処理しています。あるいは、何十年も無事故無違反で走り続けている長距離トラックのドライバーや、複雑なシステムを瞬時に復旧させる熟練のエンジニア、我々の生活は彼らの高い品質を保った作業によって支えられています。
彼らに共通するのは、圧倒的な「慣れ」です。 仕事や作業が上達するというプロセスにおいて、「慣れる」ことは絶対に避けて通れません。新人は、まずマニュアルを読み、先輩の動きを見て、何度も反復することで体に動きを染み込ませていきます。この「慣れのプロセス」を経て初めて、品質は安定領域に入ります。「慣れていってもらう」ことは、組織運営において不可欠な投資です。慣れていない人がやる作業は、どうしても時間がかかり、品質にもバラつきが出ます。ですから、会社は新人に教育を施し、一日も早く「慣れた状態(=戦力)」になってもらおうと努力するわけです。つまり、「慣れ」は品質を担保するための土台であり、これを否定してしまっては、そもそも業務自体が成り立ちません。
2. 「慣れ」が品質を壊す側面:慢心と省略
品質を作り上げたはずの「慣れ」が、ある日突然、牙を剥いて品質を破壊しにかかることがあります。それは通常であれば行われていたはずの確認作業が行われなかったり、慢心によってコントロールを誤って起こります。
人間とは不思議なもので、作業に慣れきってしまうと、脳がエネルギーを節約しようとします。最初は指差し確認しながら慎重に行っていた手順も、100回、1000回と繰り返すうちに、「もう大丈夫だろう」「前回も問題なかったし」という意識が芽生えます。これが「確認行為の省略」です。
- 「いつも通りの手順だから」
- 「もう何年もミスしていないから」
- 「ちょっと急いでいるから」
こうした心理が働いた瞬間、本来やるべき確認プロセスがスキップされます。あるいは、形だけはやっているものの、意識が完全に別のところに向いている「注意散漫」な状態が発生します。
ハインリッヒの法則というものがあります。「1件の重大事故の背後には、29件の軽微な事故があり、その背景には300件のヒヤリハットが存在する」という労働災害における経験則です。 「慣れ」による確認の省略は、まさにこの「300件のヒヤリハット」、あるいはそのさらに下にある「潜在的に良くない状態」を組織内に静かに蓄積させていく行為に他なりません。
事故は、ある日突然起こるのではなく、慣れによって積み重なった「確認されなかった判断」「認識されなかったリスク」が、ある瞬間に臨界点を超えて顕在化するものなのです。
3. マネジメントの難しさは「二律背反」にある
ここまでの話を整理すると、私たちは非常に矛盾した命題を抱えていることになります。
品質を上げるためには、作業者に「慣れて」もらわなければならない。
しかし、作業者が「慣れる」と、確認を省略し事故を起こすリスクが高まる。
この二つはセットです。「慣れさせつつ、慣れさせるな」と言っているようなもので、これが現場のマネジメントを非常に難しくしています。よくある精神論的な対策として、「初心を忘れるな」「常に緊張感を持て」といった指導が行われますが、これは人間の生理的メカニズムに逆らうものであり、長続きしません。人間は慣れる生き物であり、慣れれば楽をしようとする生き物だからです。
4. 結論:「慣れ」は排除できない。管理するものである。
では、どうすればいいのでしょうか。 第1回の結論として申し上げたいのは、「慣れ」を悪者にして排除しようとしてはいけない、ということです。
「慣れ」がなければ熟練の技は生まれません。しかし、放置すれば必ず慢心を生み、事故につながります。私たちはこのメカニズムを正しく理解した上で、「慣れ」がもたらすメリットを最大化しつつ、デメリット(リスク)を最小化するシステムを構築する必要があります。
次回以降の記事では、この問題に対するよくある間違い(ただ確認を厳しくするだけ等)を検証し、具体的な解決策として「マニュアルの限界を知ること」「インセンティブを設計すること」について深掘りしていきます。「慣れ」が生む品質と、「慣れ」が壊す品質。 このバランスの上に、組織の健全性は成り立っているのです。
著者プロフィール

- 株式会社コルプ代表 / QA+編集長 Founder & CEO, QUALP Inc. / Editor-in-Chief, QA+
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2008年より精密機器メーカにて民生機器の製品開発における品質保証業務に従事。機械部品を中心としたハードウェアの保証業務5年、機器に搭載するファームウェアの品質保証を4.5年経験。設計部門と連携した開発プロセスからの品質向上、量産を見越した品質構築を実現する。ハードウェア経験も活かしつつソフトウェアの品質向上を実現し、開発会社と連携した担当機種で不具合の低減を達成。
2018年に株式会社コルプを設立、代表取締役就任。写真・映像などのPRコンテンツの製作と品質保証を中心とした業務改善で中小企業を支援。潜在的不良リスクの低減から不測のコスト増に対応できる組織構造の構築にノウハウを持つ。YouTubeチャンネル運用支援では顧客が自立してチャンネルを運用できるよう育成まで行う。業務改善支援では中小企業の30代中堅社員の業務管理方法の改善指導をした上、業務標準化を進めるなど管理面に関する支援を行う。
「判断と構造で、未来に舵を切る人のためのメディア」QA+を立上げ、編集長として各種コンテンツの製作・ディレクションを行う。






